2025年05月02日(金) 第63回神宮式年遷宮の始まり、荒天で雨儀となった「山口祭」 (徒歩)
こちらの記事で紹介したように、本日は第63回神宮式年遷宮の始まりである祭典「山口祭」が斎行された。
【参考】
- 第63回神宮式年遷宮の始まり「山口祭」「木本祭」の祭典看板(外宮) 2025年04月19日
山口祭 5月2日(金)
皇大神宮 午前8時
豊受大神宮 正午
この祭典はぜひとも体感しておきたかったので、休暇を取得していた。
【キタヰの妻】も拝観したいとのこと、朝の5時40分に自宅を出発すると内宮を目指した。
本来、神宮の式年遷宮は皇室・国家の重儀であり、その運営には国の機関としての造神宮使庁が遷宮の度に設置された。しかし、終戦後には神宮制度が変革され神宮司廳内に神宮式年造営庁が設置されるようになった。このように運営する体制は本来の姿とは変わってしまったものの、遷宮に関わる祭儀は古儀に則り斎行されている。
今年の元日(2025年1月1日)には、第63回式年遷宮(2033年予定)に向けて神宮式年造営庁が発足した。
久邇朝尊大宮司が総裁に、齊藤郁雄少宮司が総長に就任し、神職や職員ら約600人が神宮司廳での業務と兼務する。式年遷宮は社殿や御装束・神宝などすべてのものを新調し、新しい社殿に遷御することが目的であり、これに関わる祭典は(1)御用材の調達(2)社殿の建築(3)遷御の3種類に大別される。第63回神宮式年遷宮では33もの祭典・行事が予定され、最初に斎行されるのが山口祭である。
【参考】
- 第六十三回神宮式年遷宮 | 神宮
山口祭は、造営の着手にあたり御杣山へ入るために、山麓(山の口)に坐す神を祭り、伐採と搬出の安全をお祈りする祭典である。社殿等を造営するための御用材を伐り出す御杣山は、平安時代後期になると現地を離れ各所を変遷した後、木曽(長野県・岐阜県)へ移っている。当初の御杣山は神路山(皇大神宮)と高倉山(豊受大神宮)であり、山口祭は今もその山麓で斎行される。神宮要綱によると、皇大神宮の山口祭場は岩井田山の岩社の森の上、皇大神宮は高倉山の北麓にある土宮の前である。ただし、神路山が御杣山であった頃は、大山祗神社が皇大神宮の山口祭場であった。
【参考】
- せんぐう館 平成 29 年度企画展示 式年遷宮はつづく ―御杣山― (PDF)
- 伊勢のごせんぐう第9号裏面(令和元年8月4日発行)
- 神宮要綱 | 国立国会図書館デジタルコレクション
山口祭は(1)奉拝の儀、(2)饗膳の儀、(3)山口祭場の儀で構成される。
報鼓(第3鼓)を合図に、造営庁側(総裁である大宮司ほか、技監や技師、忌鍛冶(いみかじ)、小工(こだくみ)ら)と神宮職員側(少宮司、禰宜、権禰宜、物忌[内宮では童男・童女の各1名、外宮では童女のみ]宮掌)が斎館から参進をはじめる。
斎館を出る際、神宮職員側は御塩でお清めを受けるが、造営庁側はそれを受けない。これは、かつて造神宮使が朝廷の代表として都から遠路はるばるやって来たことに由来する。
そのため、参進の列は第二鳥居前で立ち止まるり、参道の両側(造営庁側は南側)に列立すると、対揖の儀に次いで造営庁側は大麻と御塩で修祓を受ける。(1)奉拝の儀
列を整え全員が正宮へ進むと、御垣内中重にて八度拝八拍手の作法で大御神を奉拝する。
続いて、別宮遙拝所にて同様の作法で第一別宮を遙拝する。(2)饗膳の儀
別宮遙拝所から五丈殿へ場所を移すと、山口祭場での祭典を前に、造営庁の総裁を主賓として神宮職員側が造営庁側をもてなす。
饗膳は、古式に則り籐蔓で編んだ楉机(しもとづくえ)を檜葉で飾った机(檜葉机)に、飯、鯛汁、雑煮、鯛刺身、水雲汁、鳥汁、生姜酢、干鮫、鰕(えび)、鱠(なます)、菓、大根、蛸など調理された料理が並ぶ。初献、二献、三献と総裁以下に酒が勧められ、二献を終えるとひとりの権禰宜が中央に出て「御箸(みはし)」と唱える(御箸申し)。それに呼応し諸員一同が箸を円筒形に盛られた飯に立て懸ける。三献を終えると箸は戻され、饗膳の儀を終える。ただし、豊受大神宮では饗膳の料理品目が2品少なく、御箸申しの作法が異なる。山口祭場の儀に奉仕しない奉仕員は斎館に退下する。
その他の奉仕員は忌火屋殿前庭へ移動し、忌物辛櫃、神饌辛櫃、生調(いきみつぎ)であるつがいの白鶏とともに修祓を受ける。修祓を終えると五色の幣(みてぐら)を先頭に、白鶏伏籠などとともに奉仕員は山口祭場へ向かう。(3)山口祭場の儀
祭場へ着くと、五色の幣が所定の位置(中央と四隅)へ立られ、山口祭場の儀がはじまる。
修祓の後、忌物、神饌、鶏卵、神酒が奉奠され、祝詞が奏上される。
八度拝八拍手により拝礼すると、神饌が徹され、忌物は地中へ埋められる。
物忌が忌鎌で草刈初(くさかりぞめ)の儀を奉仕すると山口祭場の儀が終わる。奉仕員が斎館へ退下すると山口祭は終了である。
【参考】
- 神宮司廳 広報誌 瑞垣 第136号、第182号、第201号
ここでは、アルバム的に画像を掲載しておこう。
祭典の流れについては、こちらと第61回の記事が掲載された瑞垣を読んでおいた。
【参考】
【山口祭(内宮)】
参進の列は、こちらで紹介した祭場へ向かった。
取材は報道に限定され、一般人は拝観できないとのこと。
【参考】
- 来る5月2日に決定された「山口祭」を思いて・・・ 2025年02月16日
内宮を後にすると
正午に山口祭が開始される外宮へ向かった。
【山口祭(外宮)】
外宮の祭場は土宮の南側。ここでは一般人も写真撮影しなければ拝観できたので、しばし体感できた。20年前は写真撮影できたので、時代が変わったものだ。(スマホとSNSの普及が影響しているのだろうか?)
荒天により雨儀ではあったものの、予想以上に体感できた。
木本祭は一般人は拝観できないので、次回は御樋代木の奉曳。桑名で曳くのが待ち遠しい。
【参考】
- 第六十三回神宮式年遷宮 御樋代木奉迎送行事への参加申込に訪れた桑名宗社(桑名市桑名) 2025年02月15日
お久しぶりです。私も妻と2人で、山口祭に立ち合いました。場所は外宮さんの正殿敷地内でした。中に入ったら足止めされて
雨の中、30分立っていましたが、神官らが並んで拝む姿を垣間見る事が出来ました。貴重なものを見る事が出来ました。
ニアミスしてましたね。
田村
星柿 「左」さん
こちらこそ、お久しぶりです。
雨のなかお疲れ様でした。
20年に1度の機会なので貴重な体験ですよね。
しかも荒天による雨儀だったので、より印象深く記憶にも残ります。
では、また、